LGBTQ以前に、愛。

イケメンでもスマートでもない男性たち。
人もうらやむリア充な日常からかけ離れた
同じことを繰り返す何もない地方都市の生活。

そんな日々だからこそ
誰かを好きになる。
誰かに欲望を感じる。
焼きもちを焼く。

そんな感情はカラフルでかけがえがないのだろう。

今の日本では想像できないような
個人の感情のぶつかりあいが
「恋愛」をフィルターに描かれていた。

相手に気に入られようと必死になる姿はコメディ。
子どもが気になる異性にわがままをぶつけるような
なんとも幼稚な行動もあった。
結ばれた相手と行為にふける姿も美しいとはいえない。

でも、なんだろう。
この人間臭さに真実を感じてしまった。

会話も少なく、モノクロで
飾り気のないシンプルすぎる風景が
妙にリアリティを感じさせてくれ
最後は暖かい春のような気持ちを残して
終わった。

中国より先進国の方が
きっと共感されると思う。
だから上映禁止でいい。

「べ・ラ・ミ 気になるあなた」
おしゃれなラブストーリーだった。

戦いたくなくても戦うしかない日常、そして人生。 「手に魂を込め、歩いてみれば」イラン×パレスチナの映画

猫が歩き回りるおしゃれ感漂う部屋から
イラン人の映画監督セビデ・ファルシは
爆音が響き渡るガザの瓦礫の町で逃げ惑う
パレスチナ人の女性ファトマ・ハッスーナに語りかける。

ファトマはまだ24歳。
監督とのビデオ通話を通じて世界と初めてつながる。
哀しいつながり方ではあるが、
自分たちが置かれた状況を世界に知らせることで
援助の力が大きくなるかもしれない・・・
ファトマにはきっと、そんな期待もあっただろう。

見ていて何度も胸が締めつけられた。
何もできなくて、本当にごめんなさい。
パレスチナの悲劇はあまりにもつらい。

今起こっているイスラエル(アメリカ)による
パレスチナへのジェノサイド。
「アラビアのロレンス」まで遡って、この二国間、
そして世界の関わり方を見ているが、
もう理屈も歴史も正義も超えて、
ユダヤ人の消えることのないトラウマと被害者意識が
世界に向かって自分たちの正当性を主張し、
利害関係にまみれた大国と加害者意識を背負い続けなければならない
(と周囲からも押し付けられている)国との感情の戦いでしか
ないように感じる。

その永遠のスケープゴートがガザであり、パレスチナなんだ。

もはやパレスチナ、中東を専門とする研究者でさえ太刀打ちできない。

なんていう悲劇なんだろう。
なんて理不尽なんだろう。

神も仏もないなかで
神しか頼るものがない日常。

映像のなかで明るく話すファトマを見ていると
どうして自分を支えているのだろう・・・
そんな思いに駆られた。
時折沈んが表情を浮かべるファトマ。
これこそが現実なのだと思った。

なんとかして、彼女をあの場から助けてあげられないか
それはいつもガザの映像を見ながら
小さな子どもたちを見て思うこと。

そして、見ている自分も偽善者で
本当に嫌になる。

ファトマが残した言葉。
「もし死ぬのなら、響き渡る死を望む」。

女性が抱える恐怖と悲劇。

ペルーの映画を見た。
「少女はアンデスの星を見た」。

荒涼とした風景が広がるペルーアンデス。
カラフルな民族衣装に身を包んだ少数民族の女性たち。

人気の旅先に上がる歴史と自然が美しい民族の暮らしを育む国ペルー。
マチュピチュ、ナスカの地上絵など、旅人の心をつかんで離さない。

映画はモノクロで描かれ、
カラフルな民族衣装に色はなかった。
カラフルなままでは映画が伝えたいことが
強いインパクトを持たない。
そう思った。

生まれて間もなく両親を失った少女ヤナワラ。
祖父が愛情込めて育てる。
年齢より遅れてやっと入学した村の簡素な小学校で悲劇が起こった。
男性教師がヤナワラをレイプしたのだ。
わけがわからず逃げ、泣き叫ぶヤナワラ。
そこから彼女の精神は壊れはじめ、
古い因習と共同体意識、自然信仰に暮らす人々によって
さらに追い詰められていく。

逃げ場を失ったヤナワラと祖父。
祖父は彼女を苦しみから救うために殺すことを決意し、実行する。
そして、共同体から責められ、財産すべてを没収され、
共同体を追い出されてしまう。限りなく続く大自然の中へ。

物語は彼女が性的暴力を受けたことによって
アンデスの地に住む悪しき精霊に魂を奪われ穢れたものになった
こう描かれる。

現代、文明の進んだ地に暮らす者から見ると
「信じられない」という気持ちになる。

でも、おそらく女性の身に起きる
性的暴力は世界中に転がっている。

そして、精霊のみならず
女性の手の届かないところで勝手な判断をされ
女性たちを翻弄し続けている。

今アメリカで多くの文書が公開され始めているエプスタイン事件。
大富豪の男性が権力と財力で多くの少女たちを性的虐待し
世に名が知れた著名人をも巻き込んで恐ろしい
人身売買のシステムを作った事件が
それを物語っている。

昔も今も、ペルーもアメリカも。

映画を見終わって後味の悪い思いが残った。
こんな感覚は久しぶりだ。

それでも、知らないことを知るために
映画を見続けよう。

2年経過。

乳がんの手術から2年が経った。

今日2年目の定期検査の結果を確認するために主治医の診察を受けた。

肺のレントゲン・・・肺への転移はありません。
左右の胸のエコー・・・胸への再発・転移はありません。
腹部エコー・・・肝臓への転移はありません。
血液検査・・・腫瘍マーカーも異常なし。

次回の診察は4月22日。

よかった・・・
年末に突然角膜にヘルペスを発症し、免疫力が弱っていると医師から言われ
自分では意識しないけれど、身体のどこかに
「スキ」ができているのかもしれないと内心心配があった。

エコーを受けながらドキドキした。

あっと言う間の2年だった。
今でもあの、晴天の霹靂を受けた時を思い出す。
必死で過ごした2年だったと思う。

それなのに、再び食べたいものを食べ、
飲みたいワインを飲んで
「用心」「予防」からかけ離れた2年目の日々でもあった。
反省はする。

でも、言い訳かもしれないが
忘れたように元の生活をしたから
いつもの自分でいられたようにも思う。

気を引き締めて行こうと思いながらも
なる時はなる。母だって5年目に再発した。
どうあがいても避けられないのであれば
その時に、その時が来たら戦おうなんて思う自分もいる。

本当にわからないんだ・・私。

でも。2年間無事でよかった。

神様、ありがとうございました。

自分の人生を引き受ける。映画「それでも私は」から

個人の人権、価値観が
尊重される社会になってきているはずだが、
犯罪など社会的悪においては、
個人が所属する家族、集団単位で、
その罪を追求されていく。

家族が罪を犯したら・・・
家族が崩壊し、バラバラになっても
さらに重い試練が追いかけてきて
追い詰められ、何も持つことを許されず
どこまでも社会からはずされていく。

「それでも私は」とオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫の娘、
松本麗華の人生を描いたドキュメンタリー。

大学からも拒否され、
就職先からも解雇され、
銀行口座を持つことも拒否され、
社会全体から松本智津夫の娘ということで拒絶され続ける彼女。
苦しみながら成長していく彼女の姿に心打たれた。

途中死にたい気持ちも抱き、寝込む姿もあった。
それでも立ち上がり、筋トレをして、心まで鍛えてていく。
自分の生き方を探す中で、支援者側に立つようになる。

人はこうして支援される側からする側に移行する。
移行せざるを得ないのだと思った。

彼女を支え続けた映画監督。
その他の人々から、支える姿も学べた。

映画館では最後にトークが行われ、
オンラインで客席がつながった。

一人の男性が立ち、
「自分は松本智津夫と似ていることでいじめられ続けてきた」と話された。
彼が上映中泣いている姿を後ろから見ていた私ははっとした。
社会とは・・なんて恐ろしい所なんだろう。
そのことを知るのは社会で地獄を見た者だけ。

世界中にある人間の地獄・・・

そして、彼女の心には教祖以外の
優しい父親が住んでいて、そのことは忘れることのできない事実ということ。

人生ってたいへんだ。
でも、それでもみんな、私を生きていくしかない。
自分の人生を引き受けるとは、こういうことなんだ。

彼女の幸せを願う。心から。

抗がん剤終了。叩き切ったと信じる!

2024年5時3日から飲み始めた抗がん剤「エスワンタイホウ」。

今晩最後の錠を飲んで終了となる。
手術で切除はしたけれど、
目に見えない潜在的ながん細胞を叩き切るための抗がん剤。
主治医の勧めで飲むことに決めたものだ。

長い一年だった。いや今振り返れば早かったのかも。

3週間に一度必死で通院し、採決をし、数値に課題がないか調べ
次の2週間分を処方してもらう。

少し吐き気がし・・・吐き気止めをもらうも飲まず。
口内炎のような違和感を覚えるも数週間で治まった。
肝臓の数値が乱れ1ヵ月ほど服薬すると数値は安定していった。

なにより困ったのは味覚障害。
味がしない。
甘味を感じない。
味がぶれる。
小さな吐き気が起こる。

おかげで体重が減り、
お腹の浮き輪が消えた・・
でも、おいしく食べられない苦しさを知った。

食べるのも、作るのも好きなので
食材を通じて季節感を楽しんでいた私にはつらかった。
1月頃に1錠25mgを20mgに変えてもらい
そこから身体の負担もなくなり
味覚が戻り始めた。

私の体重では1錠25mgは少し多かったのかもしれない。
開始時に薬剤師さんも迷っていた。

一年経ったお祝いに
カクテルとアミューズのペアリンクを楽しむ
ディナーを味わった。

ハーフやスパイスの香り
お皿の上のアートを愛で、味わえた。

おいしく食べられるだけで
十分だと感じる。

日々の当たり前の営みの中に小さな喜びを見つけて
できるだけ生きて、見たいものを見て
行きたい所に行って、人生を生き切ろうと思う。

途中でストップがかかっても悔いのないように!

さて、大阪万博に行くぞ。

2025/5/6 GW最終日

乳がんの宣告から一年経って。

自宅の最寄の駅を下りて帰る時、
手術を受けた病院の横を通る。
病室のやわらかくて温かい灯りを見ると
去年の自分を思い出し
胸が熱くなる・・・

去年10月末の市の検診でしこりが見つかり
この病院を11月23日に初めて受診した。
どんな結果が出るんだろう、不安を抱えながら
救急対応もある総合病院だけれど
こじんまりしていて対応もやさしく、
不安な気持ちがやわらいだ。
ここで診てもらおう・・そんな気持ちになった。

初診日にエコーを受け、即針検診となり
乳がんの可能性が高まった。
そこでほぼ乳がんと宣告された。

もう少し詳しく調べることになり
しこり部分を小さなSIMカードのように切り取る検査をし
精検に出して乳がん確定。ステージⅡaだった。

そこからはすでにブログに綴っている
流れを経ていくのだけれど・・

この一年の早かったこと。
宣告を受けて手術までの日々を
今あらためて思い出している。

手術で広がりが見つかったら・・
転移していたら・・・
いろんな不安が押し寄せたけれど
以外にも、私はよく眠り、よく働き、よく食べていた。

腹をくくったのか
私は大丈夫と思ったのか
再発しても手術できる段階で見つけようと思ったのか
あと10年弱生きられれば満足と思ったのか

宣告を受けてからの私は
気持ちを切り替え、前向きに手術、治療に
向かっていくことができた。

1年間抗がん剤を服用することを勧められ
考えた末飲むことにして7カ月。
いくつかの副作用を越え、今は味覚異常の副作用が
私の健全な食欲を妨げている。

それでも生きていられることに
時々感動する。
夜眠る瞬間の幸せなこと・・・
温かい湯船に身体を浸した時の感動!

愛犬が愛おしく
部屋に差し込む日差しの揺れる影に心ときめき
日々歩く道で見かける季節の彩りにときめく。

あぁ、生きているだけでありがとうって感じ。
診断から一年、がんばった私を褒めてあげたい。

#8 仕事と治療の両立                           ~辞める選択を急がないで。即復帰した私の場合~

私の場合、乳がんになった時に一番最初に心配したのは仕事のことでした。
仕事は私のアイデンティティの核になるものです。
なので、今の仕事、キャリアを奪われたくなかったのです。

幸いにもステージⅡのリンパへの転移なし。
術後は、点滴型の抗がん剤でなく服用タイプの薬物療法で
治療していけることがわかりほっとしました。

唯一、術後の数十回に及ぶ放射線治療を
働きながら続けていけるかが課題になりました。
術前には平日毎日、計30回の放射線照射が必要になると説明されたのです。

メインホスピタルには放射線治療科がありませんでしたので
他院に紹介状を書いてもらい、そこで受けることになります。
メインホスピタルの関連病院は、自宅・職場ともにアクセスがよくなく
なんとか通いやすい場所にある病院を見つけなければ・・焦りました。

ネットで職場から一番アクセスのいい総合病院を探し
放射線治療科のページを確認すると・・・
なんと診療時間外の照射にも対応できる。
仕事との両立を応援します・・・と書かれてありました。
神の助け! そう思いました。
退社後、職場の前からタクシーに乗ると
10分足らずで病院に着きます。

この情報を得た私は安心して手術に向かうことができました。
術後主治医は紹介状を書いてくれ、
その病院で初診を受けると「17:30からの枠が一週間後に空く」と言われ
すべてが予定通りに進んでいきました。

術後右胸がチクチクしたり、小走りすると胸が痛いなど
違和感が残りましたが、面談、パソコンでの報告書の作成をメインとする
私の仕事には差しさわりがなく、金曜日まで働いて翌月曜日に手術入院。
土曜日に退院して翌月曜日に出勤。
仕事はインフルエンザで休み、職場には病気のことを話さずに過ごせました。

「仕事と療養を両立させる」。
キャリアの世界では、これが主流のように言われますが
実際はいろいろな問題があり、退職に追い込まれることも多いと思います。
周囲の理解を得て・・というのは余程余裕があり、知的水準が高い企業で
何年かのキャリアを積んだ人に限ると思うのです。
派遣など有期雇用ではかなり難しい。

だから、可能であれば仕事に差しさわりがないように
乗り切ることがいいと考えています。

もちろん、術後に課題を抱え、身体が思うようにならない場合もあります。
でも、辞める選択を急がず、なんとか続けていく道を探した方がいいと思います。

がんは再発の可能性を抱えています。
でも、仕事を持ち、自分の役割や社会とつながっていることで
自分を支えていくことができます。
なにもしていないと、かえって不安が募ります。

40年前専業主婦だった母が術後再発の不安を抱えながら
パートをしたり、習い事をして気持ちを紛らわせていた姿を今も覚えています。
ちょうど子育ての手が離れ、空の巣症候群のような状態の時に
乳がんになり、どんなに不安を抱えたかと、今になって気づきました。

その母の姿が、今の自分の生き方につながっていてます。

メインホスピタル選び ~アクセス、対応力、症例数、雰囲気~

メインホスピタル選びはとても重要です。
私は検診で乳がんの可能性を直接伝えてくれた女医さんに
お勧めの病院を聞いて、迷わずその病院に電話をし、初診の予約を入れました。
その時の電話の対応もよく、祝日に診察できる点で、
仕事をしながら検査や治療を進めていく身としてはありがたく
その時点での迷いはありませんでした。

選んでいる余裕もなかったように思います。
早く診察を受けて、早く手術をしなければ・・広がる前に。
そんな思いが強かったと思います。

それ以外に優先したのは通院のしやすさです。
自分が毎日利用する最寄り駅の前にある総合病院で
自宅との距離が近く、もしも抗がん剤治療になったら
投与後自宅に帰ってすぐに休める環境が望ましいと思ったのです。

今も選んだ病院を信頼して治療を続けていますが
少しだけ、判断が甘かったかな・・と思うことがあります。

それは術後に放射線治療が必要であることを
いくつかの検査が終わり、手術日が決定した時点で
放射線治療科がなく、他院を探す必要があると聞かされた時点です。
「えっ」という感じでした。なぜもっと前に、この病院でできること、
できないことをしっかり説明してくれなかったのだろう?
自分で標準治療について、もっとしっかり調べておけばよかった。
そんな後悔が生じました。

手術日が決まった時点で放射線科もある病院を選び直す気力もなく
「放射線治療ができる病院を探そう」。そう思い直し、自分を励ましました。

加えて、メインホスピタルでは脳のMRIを撮る設備はないみたいで
今後の経過観察、治療上にある転移を
未然に防ぐための検査機能が万全ではありません。
すべてが揃っている病院であれば各科が連携して
総合的に診てもらえるのではないか?
そんな思いを持ちました。

幸いにも部分切除でリンパへの転移もなく、
放射線治療、ホルモン剤と抗がん剤の服用という治療の流れが決まり
比較的軽い状態であったことで、選んだメインホスピタルで
継続して治療を受けられると判断しました。

ただ、もしも転移があったりと複雑な様相を呈していけば
トータルにすべてを診てもらえる病院がいいように感じます。

アドバイスとしては、乳がんの可能性が出た場合
まず標準治療の流れを把握して
自分が受ける可能性のある治療がすべてできる病院を選ぶことをお勧めします。

私自身は他院で放射線治療を受け
骨粗鬆症の手当は他のクリニックを紹介されて通っていますが
メインホスピタルのこじんまりした感じ、病院の雰囲気は気に入っています。
いつも仕事の帰り、病院のやわらかな灯りを見ると
手術入院した日々を思い出します。
清潔なベッド、病室で丁寧に対応してもらえました。
主治医を信じて、ここで治療と経過観察を続けていこう。
そう決心しています。

乳がんの標準治療

科学的根拠(エビデンス:あるテーマに関する試験や調査などの
研究結果から導かれた、科学的な裏付け)に基づいた観点で、
現在利用できる「最良の治療」であることが示され、
多くの患者に行われることが推奨される治療が標準治療です。

乳がんの診断を受けた時、私は標準治療を知らず、
医師からも伝えられず体験談ばかり読んでいました。
自分と同じステージの人がどんな治療を経て
どんな経過をたどっていったのか?

そうした事例が一番心の励みになっていました。
事例を読みながら一喜一憂していました。

でも、診断が下りた段階で一番知る必要があるのは
自分の乳がんに適した治療方法です。

メディアでは最新の治療、自由診療で受けられる治療法が
著名人の事例に基づいて紹介される記事を多くみかけます。

でも、一番重要なのは多くの事例をもとに確立された信頼できる治療法。
そして、そうした治療法は保険適応の範囲ですので
誰もが受けられる治療になっています。

乳がんは特に、この標準治療がしっかり確立されています。
40年前、私の母がステージⅢないしⅣの乳がんになり
全摘をして放射線治療をした頃は標準治療は
立していませんでした。
長い年月を経て、今はステージごとに治療が確立されています。

国立がんセンターのHPには乳がんの標準治療の流れが
フローチャートでわかりやすく表現されています。
必ずこれを確認し、自身の状態がどこにあるのか、今後手術をするのか
どのタイミングで服薬治療が始まるのかなど、そこで調べておいて
わからないことは主治医にしっかり確認していく必要があります。

私の場合初診時に、今後の検査によって術前に抗がん剤を処方し
その後の手術になる場合もある。あるいは手術後にホルモン剤などの
服薬をしていくかもしれないと言われました。
この時に標準治療を知っていたら・・と後で思いました。

その後患部に針を刺して細胞を吸い取る穿刺せんし吸引細胞診検査(細胞診)、 
穿刺せんし吸引細胞診検査検査より太い針を使って病変を切り取る針検査(組織診)を行い、結果を確認したうえで、その後の治療が決まると言われました。

実はこの時点で術後の放射線治療については言及されませんでした。
放射線治療の必要性を説明されたのは手術が迫ってから。
全摘でなく部分切除を選択した場合、
標準治療では放射線の照射は必須だと言われたのです。
さらに私がかかった病院には射線線治療科がなく
別の病院にかからなければならないことも、この時点で知りました。

実は、この時医師の説明不足ではないかと思いました。
初回時にきちんと説明されていれば・・と思いましたが
手術を前に気持ちに余裕がなく、ただ唖然とするばかりでした。

もしも、知っていれば、病院の選択にも影響したかもしれません。

まずは標準治療の流れを知る。
自分の位置を確認する。
そのために必要なことは何か、疑問はあるか?
すべてを解決し、納得して進んで欲しいと思います。

ちなみに若くして命を落とした小林麻央さんは
この標準治療から離れてしまったと聞きます。
乳房を切除しない方法を探し、他の治療に頼っていく間に
転移が広がってしまったと・・・。
今は乳房再建も乳がんの手術と同時にできるなど
治療は進んでいます。

まずは、基本を大切にする。
考えてみてください。