性別違和 男性になりたいのではなく、女性でいたくない気持ち。

思春期に女性であることを意識し、
そんな自分の性に違和感を感じる女性は少なくないと思います。
私自身もそうでした。そして、かなり長い間、
その気持ちを引きずって生きていたと思います。

今やLGBT礼賛の時代。「生まれてきた子どもの性別は、その子が選んでいい」
トランスジェンダーの両親の思いをある記事で読み違和感を覚えました。
アンチを唱えればヘイトとみなされてしまう時代。
声高に意見を言えませんが、「違うのではない?」と思っています。

生物として性別を持って生まれ、その性を自然に受け入れて育つことは
生物界の自然の摂理です。その根底からひっくり返してしまうことは
生物界への冒涜だと思うのです。

大人に成長していく段階で性別違和を感じたなら・・・そこからが
自身の性別を見つめていくスタートだと思うのです。

思春期に性別違和を感じ、自身を男性と性自認した女性への
「ジェンダー肯定医療」がアメリカには存在するそうです。

思春期ブロッカー(第二次性徴を抑制する薬剤)
  ↓
異性ホルモン(テストステロン)
  ↓
胸の除去手術
  ↓
場合によっては男性器の形成

こうして性別適合手術へと進んでいくシステム。

トランスジェンダーを支援する団体がこのシステムを
押し進めていったとのことです。

日本でも生理に違和感を感じた女性に、学校側が
「あなたはトランスジェンダーかもしれない」と支援団体につなぎ
思春期ブロッカーを投与した事例があるそうです。

こうして性別違和からシランスジェンダーへと
性自認を進化させていった後で「やっぱり違う」と
あらためて自分の女性性を肯定していく人もいます。

思春期は性の揺れが激しく、女性であることを嫌悪するところまで
思い詰めてしまうことは多々あります。もちろん男性も同様です。
こうした心の成長の変遷こそが、その人のオリジナリティ、個性を
豊かにしていくのだと私は思います。

そんなトランスジェンダー推進の社会的現象、心理を分析した書籍
『トランスジェンダーになりたい少女たち』がアマゾンで1位になっています。

女性でいたくないとと考える。
精神的に不安定な思春期の少女たちに過ぎないと
分析する書籍の主旨に私も共感します。

男性の方が何かとラクだと思った私は、女性である自分を生き続け、
そこに性別違和はありませんでした。あったのジェンダーギャップであり、
社会における女性への役割の押しつけこそが、
女性でいたくない原因だったと思います。

性別違和はキャリアの中で時々生じます。
その流れに乗る前に自分の心をしっかり見つめることが大切です。

悩める女性、男性も、行動する前に相談してください。

不安症

不安はどこから来るのでしょうか?

症状あるいは障害まで進んでいる場合は不安がどこから来るのかわからず、
漠然とした不安を抱え、外出できない、人と接するのが怖いなど、
日常生活に支障が出ている状態です。

米国精神医学会の精神疾患診断基準DSM-5-TRによれば、次の5つの疾患を
不安症としています。

パニック症
広場恐怖症
限局性恐怖症
社交不安症
全般性不安症 など

医学的に、不安の原因ははっきりわかっておらず、
身体的要因と心理的要因の両方が関連していると考えられています。
最近は脳内の神経伝達物質が関連しているという説も出ています。

こうした不安の治療法として「薬物療法」と「精神療法」があります。
薬物療法では抗不安薬が処方されますが、車の運転不可など規制もあり
また副作用にも十分な注意していく必要があります。

精神療法は、カウンセラーとの対話を通じて行います。
物事に対する考え方、受け止め方(認知)や行動に働きかけて、不安に
導かれる「考え方のくせ」を修正する「認知行動療法」、
あえて不安の中に身を置いて不安が起こらないことを確認して
自信をつける「暴露療法」などの手法があり、
症状を緩和することを目指します。

ライフステージにおいて、親から自立する分離不安、
思春期に自我を確立していく過程で生じるアイデンティティクライシス、
社会に出て環境が変化し、人生を考えた時に起こるキャリアの不安など、
さまざまな不安に襲われます。
一定期間の不安で終わればよいのですが、不安が高まり
日常生活に支障が出そうになった段階までに
手当てをしていくことをお勧めします。
まずはカウンセラーを通じて自分が抱える不安の元を手繰り寄せ、
どうすればその不安から解放されるのか、
カウンセラーにお話しされてみてはいかがでしょうか?

カウンセラーは、あなたの不安を一緒に抱え、
そこから抜け出す方法を考えていきます。

自分が好きということ。

詩人の谷川俊太郎さんと歌手の中島みゆきさんの会話です。

T 自分の嫌なところなんかないの?

N いっぱいあるけど、全部ひっくるめてすごく好き。

T ははぁ、嫌なとこがあっても好きだったいうのはいちばん愛してることだから、
  それはもうめっぽう愛しているわけだし、いつ頃から自分が好きになったの?

N えーと、気がついたらずっと好きみたいよ。

T それは自分に対する自信があるということとは違うんだね。

N そうね、人前に出してダメでもね、それはそれなりに、あたしは好きなんだからね、いいの。

ダメでも、嫌なことろがいっぱいあっても自分が大好き。
健全な自己愛って、こういう心理です。

自分のいいところも嫌なところもすべてひっくるめて
自分が好き。自分が自分を愛してあげることからすべてが始まる。

そう思いませんか?

自分らしく、そのままでの魔法。

子どもの頃、私にはとてもお転婆で女の子らしくない(当時も今もこの意識が一般的)時期があった。
それは小学校時代のこと。

幼稚園で不登校ならぬ不登園になり、小学1年時もそれを引きずっていた私が
変貌したのは小学1年の終わりに転校した小学校。小2で担任になった新任の男性教師によって
学校生活が楽しくなり、エネルギー爆発の時代を迎えた。

担任は「遊びに行こう」と言って授業を外遊びに変えた。
当時、私が住んでいた地域で“山ノ谷”と呼ばれていた池も崖もある森へと暮らす全員を誘い
思いっきり遊ぶ時間を作ってくれた。
その森の中の切り立った崖の上に先生が座り、
崖に向かって走って行く生徒を手で引き上げてくれる遊びが大好きだった。

ある時は、運動場の地面に棒で不思議な絵を描き、内と外に分かれて争う戦争ごっこを楽しんだ。

身体を使って遊ぶ時間とは別に、先生が本を読んでくれる時間や目をつぶって心を整える瞑想の時間もあった。・
身体が眠気で傾いたら、長い棒だったかさしだったかで肩を叩かれた。
授業中に友だちとおしゃべりしているとチョークが飛んでくることもあった。
今なら体罰として老けてからクレームがきそうなことがたくさんあった。当時はそれがフツーで
みんな担任が大好きだった。

担任のやり方に触発されたのか、本当の自分を引き出されたのか、
私は男の子たちと一緒になって走り回り、大人しい女の子に小さないたずらをすることもあった。

ある時、そんな私を心配した母が担任に相談した。
「うちの子はこんな感じですが、どうしたらいいですか?」
担任は・・・
「そのままでいいです」と答えた。
「人間には能動的なタイプと受動的なタイプがある。どちらもそのままでいいんです」と。

母は安心したよに私に言った。
「そのままでいいんだって」。

「そのままでいい」。
この言葉は、その後ずっと私を支えてくれた。
何度も心の中でリフレイんし、特に落ち込んだ時は、この言葉が私を助けてくれた。

「そのままてでいい」。
なんて素敵な言葉なんだろう。